抱えている問題

私たちが問題だと思うこと

法律上、ペットは物として扱われます
そのため、ブリーダーやペットショップでいぬやねこが酷い扱いを受けたり亡くなってしまっても法律上は、物を壊しただけ、自分の物であれば問題ないということになります。
(但し動物虐待は除く)
愛犬、愛猫をトリミングサロンや動物病院などの施設に預けて、施設の責任で愛犬、愛猫が亡くなってしまったという場合でも、損害賠償額はうまくいって数十万円しか認められません。2024年には飛行機の中で亡くなるという痛ましい事故も起きました。やはり法律上は、物を壊しただけ、物の時価の賠償で許されるということになります。

私たちが問題だと思うこと

法律上、ペットは物として扱われます
そのため、ブリーダーやペットショップでいぬやねこが酷い扱いを受けたり亡くなってしまっても法律上は、物を壊しただけ、自分の物であれば問題ないということになります。
(但し動物虐待は除く)
愛犬、愛猫をトリミングサロンや動物病院などの施設に預けて、施設の責任で愛犬、愛猫が亡くなってしまったという場合でも、損害賠償額はうまくいって数十万円しか認められません。2024年には飛行機の中で亡くなるという痛ましい事故も起きました。やはり法律上は、物を壊しただけ、物の時価の賠償で許されるということになります。

昭和の価値観からの脱却

日本の多くの法律、特に民法は大昔にできた法律です。昭和初期は家父長制などの家制度がよしとされ、今の家族の定義とは大きく異なっていました。
家制度はとっくに見直され、最近では、夫婦別姓やLGBTの関係等で家族の定義が問われることがありますがペットも家族ではないでしょうか?昭和の時代は長男だけが優遇され、いぬねこと一緒に暮らす余裕はありませんでした。今は違います。兄弟姉妹は平等、夫婦平等、いぬねこも家族ではありませんか。そんな家族の命が「物」と同じでいいのでしょうか。
例えば、ドイツでは、「動物は物ではない。」と明確に法律で定められています(ドイツ民法典(BGB)第90条a1文)。

昭和の価値観からの脱却

日本の多くの法律、特に民法は大昔にできた法律です。昭和初期は家父長制などの家制度がよしとされ、今の家族の定義とは大きく異なっていました。
家制度はとっくに見直され、最近では、夫婦別姓やLGBTの関係等で家族の定義が問われることがありますがペットも家族ではないでしょうか?昭和の時代は長男だけが優遇され、いぬねこと一緒に暮らす余裕はありませんでした。今は違います。兄弟姉妹は平等、夫婦平等、いぬねこも家族ではありませんか。そんな家族の命が「物」と同じでいいのでしょうか。
例えば、ドイツでは、「動物は物ではない。」と明確に法律で定められています(ドイツ民法典(BGB)第90条a1文)。

物の価値と命の価値の差

例えば人間が交通事故で亡くなった場合の慰謝料は2000万円~3000万円ほどです。
いぬやねこの場合、慰謝料はほぼ0円です。「物損」と言って、いぬやねこの「時価」「買替費用」だけが損害として認められます。しかし、愛犬や愛猫は買い替えが可能なものでしょうか?人間と同じように、1つの命です。しかも、物損であるがゆえに許せないことがあります。自動車などは、乗った期間に応じて価値が落ちるという減価償却という概念があります。それは、時間が経てば経つほど価値が下がるということを意味します。これをいぬにしてみると、50万円で買ったいぬが、5年後は20万円ですということがありえます。果たして、いぬの価値はそうでしょうか。時間を重ねれば、たしかに寿命は短くなるでしょう。
しかし、その分価値が落ちるのでしょうか?一緒に過ごした時間が長ければ長いほど愛情は深くなり、家族になり、価値というのも失礼な関係になるのではないでしょうか。

物の価値と命の価値の差

例えば人間が交通事故で亡くなった場合の慰謝料は2000万円~3000万円ほどです。
いぬやねこの場合、慰謝料はほぼ0円です。「物損」と言って、いぬやねこの「時価」「買替費用」だけが損害として認められます。しかし、愛犬や愛猫は買い替えが可能なものでしょうか?人間と同じように、1つの命です。しかも、物損であるがゆえに許せないことがあります。自動車などは、乗った期間に応じて価値が落ちるという減価償却という概念があります。それは、時間が経てば経つほど価値が下がるということを意味します。これをいぬにしてみると、50万円で買ったいぬが、5年後は20万円ですということがありえます。果たして、いぬの価値はそうでしょうか。時間を重ねれば、たしかに寿命は短くなるでしょう。
しかし、その分価値が落ちるのでしょうか?一緒に過ごした時間が長ければ長いほど愛情は深くなり、家族になり、価値というのも失礼な関係になるのではないでしょうか。